時の移り変わりにつれて、長い間観梅の主役であった芸姑連(芸者)に代わって登場したのが、「水戸の梅むすめ」でした。
もともと、昭和38(1963)年、初めて10人の梅むすめが選ばれたのは、芸姑に変わってお出迎えや園内の案内などを行う、観梅期間中だけのいわばサービス係として実験的に考えられたものでした。
当時は、今日のように、世間から注目されて華々しく登場したわけではありませんでした。
梅むすめの人気も次第に定着してきましたが、平成13(2001)年に男性でも応募が可能になり、その名称も「水戸の梅大使」に変更され、現在に至ります。