日本が近代化と西洋化を進める大きな契機となり、歴史的な一大転換点となった「明治維新」。
幕末から明治維新に至る激動の時代において、水戸は大きな役割を果たしましたた。
今なおまちの各所に残る、維新の魁としての軌跡を辿ります。
出発
水戸城跡
水戸徳川家の居城として知られる、日本最大級の土づくりの城。
実質上の天守であった御三階櫓や殿館は失われましたが、今も残る土塁や堀、復元された大手門や二の丸角櫓などから、かつての雰囲気が伝わってきます。
回天神社・水戸殉難志士の墓・常磐共有墓地
回天神社は、安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変等、国のために殉じた志士を祀る神社です。
昭和8(1933)年には忠魂塔が建てられ、その後昭和44(1969)年には、明治維新100年を記念して回天神社が造営されました。
まさに、維新回天の事業の貴い礎となった志士の御霊を祀った聖域といえます。
神社の前後には、一定の形の墓石371基が、あたかも行進しているように整然と並んでいますが、これは幕府軍との戦いで殉難した烈士の墓で、大正3(1914)年に建てられたものです。
回天館
元治元(1864)年、京を目指して挙兵した天狗党の志士800余名が捕縛された16棟の鰊倉のひとつで、福井県敦賀市から移築されたものです。
現在、回天館は保存会によって管理され、天狗党の資料などを展示、永く顕彰する事を目的としています。
扉や板壁などには、牢居していた人々の血書の文字が散見され、武田耕雲斎らが処刑されるまで拘置されていた当時を偲ぶことができます。
茨城県立歴史館
茨城県の歴史に関する「博物館」と「文書館」の機能を併せ持った施設として、昭和49(1974)年に開館しました。常設展では、県内の歴史を民俗・考古・古代・中世・近代の各部門に分けて展示しています。
また、徳川慶喜公ゆかりの一橋徳川家から寄贈を受けた資料等を展示する「一橋徳川家記念室」も併設されています。
常磐神社・義烈館
偕楽園に隣接し、徳川光圀公、徳川斉昭公を祀る神社です。
明治初期、光圀公や斉昭公の徳を慕う人々により、偕楽園内に祠堂が創建されたことに始まります。
昭和20(1945)年の戦災で大きな被害を受けましたが、現在、境内に建てられている「義烈館」では、水戸学に関する資料や、斉昭公が追鳥狩(軍事大演習)の際に打ち鳴らした陣太鼓などをご見学いただけます。
偕楽園
日本三名園のひとつに数えられる偕楽園は、勉学の場である弘道館に対し、学問の合間に心身を休める場として設けられました。藩主が楽しむことを主目的としたほかの庭園と異なり、領民のために開かれたことが大きな特徴です。
偕楽園本園のすぐそばには、徳川光圀公の時代から約250年間に渡り編纂が続けられてきた「大日本史」の完成の地碑が残っています。
到着
水戸藩第9代藩主徳川斉昭公が創設した日本最大級の藩校で、天保12(1841)年に開かれてから、武芸一般はもとより、医学や天文学など、多彩な科目が教育されていました。
のちに、明治維新の原動力となったと言われている「水戸学」はここで発展し、幕末の多くの志士に影響を与えました。
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