レンタサイクルで水戸市の定番観光地を巡るコースです。
梅で知られる偕楽園や弘道館、秋のイチョウ並木が印象的な茨城県立歴史館、新たに公開された水戸城二の丸角櫓などを回ります。
出発
二の丸展示館
水戸城の二の丸跡、旧水戸彰考館跡地に位置する展示館です。
かつてはここに水戸彰考館が置かれ、「大日本史」編纂に関する業務が行われていました。
現在では「二の丸展示館」が開館しており、日本遺産「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」を構成する弘道館や偕楽園などの市内の教育遺産に関する情報発信や、水戸城に関する展示等を行っています。
水戸城二の丸角櫓
二の丸角櫓は、水戸城内に存在していた角櫓のひとつであり、水戸駅からほど近い、二の丸の南西部角に位置していました。
櫓本体は、2階建の角櫓と、その北側・東側に接続される2つの多聞櫓(北多聞櫓・東多聞櫓)から構成されており、全体でみるとL字型をしています。
かつて城内には4基の角櫓が建てられており、城の北側よりも南側(城下町側)にかたよって設けられていたことから、城下から城を見上げた際の視線を意識してつくられたと考えられています。
現在みられる櫓は、大手門をはじめとする城跡周辺の歴史的建造物整備の一環として、過去の発掘調査や史資料調査の結果を踏まえて、当時と同じ場所に天保期の姿で復元されたものです。
弘道館
水戸藩の藩校として、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により天保12(1841)年8月に創設されました。当時の藩校としては日本最大規模を誇っており、藩士に文武両道の修練を積ませようと、武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問を採り入れた、いわば総合大学というべきものでした。
第15代将軍となった徳川慶喜公も、父斉昭公の厳しい教育方針で5歳の時から弘道館において英才教育を受けました。慶応3(1867)年の大政奉還の後、謹慎した至善堂(しぜんどう)が今も残っています。
弘道館は国の特別史跡になっており、幾度の戦火を免れた正庁・至善堂・正門の3か所は重要文化財に指定されています。敷地には約60種800本の梅が植えられており、偕楽園とともに梅の名所となっています。
水戸芸術館
水戸芸術館は、水戸市の市制施行100周年を記念して開館した複合文化施設です。
施設を設計したのは、建築界のノーベル賞と言われるほど権威ある賞である「プリツカー賞」を受賞した建築家、磯崎新氏。また、館長として、世界的な指揮者であり、水戸室内管弦楽団の音楽監督を楽団創立時から務めてきた、小澤征爾氏が就任されています。
館内には、音楽・演劇・美術の専門空間として、コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーが設けられており、日々、3部門それぞれの事業が繰り広げられています。
茨城県立歴史館
茨城県立歴史館は、茨城県の歴史に関する「博物館」と「文書館」の機能を併せ持った施設として、昭和49(1974)年に開館しました。常設展は、県内の歴史を民俗・考古・古代・中世・近代の各部門に分けて展示しています。また、徳川慶喜公ゆかりの一橋徳川家から寄贈を受けた資料等を展示する「一橋徳川家記念室」も併設されています。
施設を囲む広大な庭園には、明治14(1881)年に建設された八角尖塔のある旧水海道小学校本館(茨城県指定文化財)が移築されているほか、江戸時代の民家等も移築復元されています。
偕楽園
偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられ、天保13(1842)年7月、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により造られました。
造園に際し、斉昭公は自らその構想を練り、藩校弘道館を勉学・修行の場、偕楽園を休息の場として、互いに対をなす一体の施設として設計したとされています。
現在、偕楽園には約100品種3,000本の梅が植えられ、かぐわしい早春の訪れを告げてくれます。2月中旬から3月にかけての「水戸の梅まつり」を皮切りに、桜、つつじ、秋には萩、初冬には二季咲桜と、花々が季節を届けてくれます。
到着
水戸城大手門は、水戸城内で最も格式が高い門であり、明治期に解体されるまでの間、城の正門としてその威容を誇っていました。
かつての大手門は、何度かの建て替えを経てはいるものの、もとは佐竹氏が水戸城主だった慶長6(1601)年頃に建てられたものだと考えられています。
現在見られる門は、令和2年2月に天保期の姿で復元が完了したもので、高さ約13メートル・幅約17メートルと巨大な櫓門であり、水戸城跡のシンボルとも言える存在となっています。その古風な外観は江戸時代初期の様式を残しており、土塁に取り付く大手門としては国内屈指の規模を誇ります。
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